親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探求している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第27回のゲストは、アイス評論家のアイスマン福留さんです。
数々の職を転々としていた福留さんが、最終的に行き着いた結論は、大好きなアイスに特化した人生を送ることでした。「それ以外のことはすべて無視する」――そんな生き方は、まさに「偏愛LIFE」と呼べるかもしれません。
アイス評論を続けていくうちに「普通では見られなかったはずの世界が見えた」とまで語った福留さん。一つの分野に特化し、愛を注ぐ尊さが、彼の足跡を知るほどに見えてきました。
人並みの仕事はできなかったが、好きなアイスでは輝けた

―すごい量のアイスのパッケージですね!
福留
これはほんの一部で、今まで食べたアイスのパッケージはすべて大事にとってあります。すでにメーカーにはないもの、人から譲り受けた数十年前のものも含めて、いま、倉庫に約1万点を保管しているんですよ。
―すでに福留さんのアイス愛が伝わってきています。子どもの頃からアイスはお好きだったんですか?
福留
好きでしたね。特に、『バニラエイト』(森永乳業)というアイスはよく食べていました。でも、「死ぬほど好き!」というより、みんながアイスを好きなのと同じ程度の好きだったと思います。
—当時はマニアというほどではなかったのですね。その後、大人になってすぐにアイス評論家になったわけではないと思います。どんな紆余曲折があったのでしょうか?
福留
高校卒業後は飲食店でウェイターをやったり、トラックの運転手をやったり、いろいろな仕事に携わっていました。
そんななか、コンビニで売っていた『ダカーポ』という雑誌の表紙に「これからはIT力が年収に差をつける」と書いてあったのを見て、そこからIT企業の面接を受けにいくのが趣味化していったんです。その結果、パソコンを触ったこともないのにSEプログラマーになりました。
—IT業界は向いていましたか?
福留
向いてなかったですね。無知すぎるのにプログラマーになってしまい、大変な思いをしました(苦笑)。
社会人になったとき「社会ってつらいな」と思ったのですが、それは転職で解決できると思っていたんです。でも、いくら一生懸命やっても、要領が悪いからどの職場でも人並みの仕事ができなくて。で、最後は「独立をしよう」とWeb制作の会社を起業したのですが、それもやっぱりだめで(笑)。分譲で買ったマンションも、ローンが払えなくなったので手放しました。

アイス評論家・アイスマン福留さん
—そこから、どのようにアイス評論家になったのでしょうか?
福留
ヤケクソになり、「好きなことをやろう」と思ったのがきっかけでした。毎日のようにコンビニでアイスを買って食べていたので、アイスを自分なりに分析する「コンビニアイスマニア(現:アイスクリームマニア)」というアイスクリームの専門サイトを開設したんです。2010年のことでした。
—アクセス数はどうでしたか?
福留
当時はSNSなどが今ほど浸透していませんでしたが、告知なしで毎日3000件ほどの訪問があったんです。WEB制作を通じて企業(クライアント)のホームページのアクセスも見ていましたが、どんなにがんばっても数字はなかなか伸びませんでした。なのに、僕が書いたアイスクリームの何気ない感想記事は何千人もの人に読んでもらえたんです。
—つまり、ニーズがあった。
福留
そう! 自分の力量というよりは、アイスクリームの持つポテンシャルが異常だったんだと思います。
—今まで「自分にはどの仕事が合っているか」と職を転々としていたのに、アイスの情報を発信するといきなりバズったわけですね! でも、子ども時代はそこまでアイスを偏愛していなかった福留さんが、本格的にアイスを好きになったのはいつ頃だったのでしょう?
福留
赤城乳業に『ガリガリ君』というアイスがありますが、小さい頃の僕はそこまでハマらなかったんです。その後、大人になってコンビニでアイスを買うようになり「これ、おいしい!」と思ってパッケージのうしろを見ると、赤城乳業がつくったアイスであることが多いことに気がつきました。「この会社は『ガリガリ君』以外にも、おいしいアイスをいっぱいつくっているんだな」と、そこで初めて知ることができた。
以来、アイスを毎日食べてはパッケージのうしろを見て……ということを毎日繰り返すようになったんです。2003年ごろの僕は、それだけが楽しみでした(笑)。
—日頃からのアイスに対する視点が、サイトの運営にも役立ったわけですね。

「アイスクリームマニア」には、今も成分表や製造元の情報を掲載。原点を守り続けている
報酬が“ある”趣味と“ない”趣味の両輪で
―「アイスマン福留」を名乗るようになった経緯を教えてください。
サイトを開設したのと同時期に「自分をコンテンツ化したら、いろいろなところに取り上げてもらえるかも」と思い、「関係者各位 私、アイスマン福留はコンビニアイス評論家として活動を始めます」とプレスリリースを打ってみたんです。そうしたら、意外とテレビや雑誌から出演依頼が来まして。
振り返ると、あの頃はメディアがパフェやケーキといったお店の特集を組むことはあっても、コンビニで買った100円くらいのアイスを真剣に紹介することはなかったんです。スイーツのイメージが高級だった時代に庶民的なコンビニアイスの評論家を名乗ったから、「変なのが出てきたぞ」とめずらしがられたのだと思います。

―今ではアイス評論の第一人者となった福留さんですが、アイスの評論活動は生活の糧になっていますか?
マネタイズは一番難しいと思っていて。昔から、僕は「趣味をそのまま仕事にしたい」と思っていましたが、結局、アイス評論一本で食べていくのは不可能で、これを本業にできる方法はおそらくないと気づきました。だから、“報酬がない趣味”だけでなく、“報酬がもらえる趣味”もつくっています。
―それはどういったものでしょう?
2015年からは「あいぱく(アイスクリーム万博)」を始めました。全国各地から厳選したご当地アイスなどを集結させたイベントです。アイス評論の活動を続けてきたなかで、年間50万個のご当地アイスを売る事業が幸いにもでき上がりました。
それ以外だと、北海道の道の駅で販売するソフトクリームの監修といったオファーを受けています。町の人から「ソフトクリームの機械から提案してほしい」と言われ、「じゃあ、一緒に選びましょう」とみんなで進めていったり。そういうのって楽しいじゃないですか?
一方、アイスメーカーのPRなどはほとんどやっていません。やらなきゃいけない“仕事”になると、僕は急にできなくなっちゃうんです。「あいぱく」やアイスの監修は、あくまで“報酬がもらえる趣味”なので(笑)。それらの収益でまかないながら、ずっと好きなことだけをやり続けています。毎日アイスを買って、食べて、サイトにレビューを書いて……。
―それらは“報酬がない趣味”にあたるわけですね。でも、その活動がなければ、「アイスマン福留という人がいる」と世の中に浸透していかなかったかもしれません。両方必要なんですね。
アイスに特化して生きていくと決め、あとはすべて無視する
―「好きなものを生活の糧にすると、それを楽しめなくなりそう」と、躊躇する人もいます。福留さんはどうお考えですか?
僕は、「好き」を生活の糧にするのはいいことだと思います。その結果、没頭して「好き」を深堀りすることができますから。限りある時間のなかで、一つの分野に特化すると普通では見られなかったはずの世界が見えるんです。
たとえば、北海道の道東で60カ所の牧場を周り、ソフトクリームを食べ続ければ「おいしい」「おいしくない」以上の世界が見えてきます。「牛ってホルスタインとジャージーとブラウンスイスでこんなに違うのか」「このソフトクリームマシンを使うとこうなるんだ!」と、特化すればするほど深い世界を感じることができる。そうなれば、自ずとアイス評論家としてやりやすくなります。その代わり、ほかのことは全然わからなくなりますけど。
―極端ですね……!

世の中の流れはまったくわからなくなるけど、それはしょうがないですよね。ほかはすべて無視して、僕はアイスに特化して生きていくと決めました。「アイスの活動に集中して、あとは死ぬだけ」という意識になるとめっちゃシンプルだし、それ以外の欲はなくなっていくんです。
そうすると、ほかのことはやらなくて済むから、どんどん暇になっていきます。それで、その時間すべてを、アイスを深堀りすることに充てています。国会図書館でアイスのことだけをひたすら調べて過ごしたり。
それから、ニュージーランドに行ったときには、あくまでアイスが目的なので観光地は行きませんでした。
―本当ですか!?
だって、アイスに特化しているのに観光なんてしたらだめじゃないですか。そういうのは、みんなの世界で楽しめばいい。一方で、「オークランドではどのアイス屋がおいしい?」と聞かれれば、僕はすべてのお店を回ったので全部答えられます。
要は、その土地に行ったら観光をするのではなく「アイスのために行った」という意味を持たせたい。別府に行ったら温泉には入らず、アイス屋だけを巡って帰ってくる。僕は47都道府県すべてを周りましたが、すべての土地でアイスだけ食べて帰ってきました。だって、アイスが中心の人生だから。
死ぬまでにアイスの博物館をつくりたい
—すごい話の連続です。ところで、今年の夏はどんなアイスが注目でしょうか?
最近は、韓国系のアイスが癖になりますね。まず、セブン-イレブンで買える「悪魔チョコビンス」がおすすめです。「ピンス」とは韓国のかき氷のことですが、量がめちゃくちゃ多いし、日本にはない味がします。
あと、チョコボールがトッピングされた韓国発の「クリーミーヨーグルトボール」もリピートして食べています。韓国のファッションが日本で人気なように、アイスに関しても韓国系は要チェックです。


「悪魔チョコピンス」(左)と「クリーミーヨーグルトボール」(提供画像)
あと、パリパリ系やねっとり系など食感を売りにしたアイスもすごく人気。ファミリーマートが出した『もはや生チョコを凍らせたようなアイス』に代表される「もはや◯◯シリーズ」や、セブン-イレブンの「まるで◯◯シリーズ」はすごくおいしいですよね。
—最近のアイス市場は「それなりのお金を出してでも、おいしいものを食べたい」という傾向になっている気がします。
たしかに、最近のアイスは高いです。300円なんて普通ですし、さっき紹介した韓国系のアイスは400円ぐらいします。
でも、それって「アイスの価値が上がってきた」という言い方ができるかもしれません。ほかのスイーツに比べ、アイスは100~120円ぐらいの価格帯を維持していた時期が長かった。それがポジションアップした感はありますね。
—最後に、アイス評論家としての目標を教えてください。
アイスの博物館をつくりたいと思っています。今保管しているアイスのパッケージをうまく使って、展示がしたいんです。ただ保管しているだけならただのゴミで終わってしまうから、博物館をつくってから死なないと。
—日本のアイスの歴史を振り返るにはすごく貴重な資料ですよね。
今年3月に「アイスクリームミニ博物館」を開催したのですが、アイスメーカーの人はみんな感動してくれました。


「アイスクリームミニ博物館」の様子(提供画像)
—うわーっ、すごい!
これでもパッケージは1000点ぐらいです。本物の博物館は、この10倍のスケールになりますよ。
がんばって資金を集めて、70~80歳ぐらいには博物館を開設したいと考えています。あと数十年もしたら僕は死ぬので、そうなったときに「この大量のパッケージ、どうするんだろう?」とならないようにしないと(笑)。
アイスマン福留
アイス評論家
1973年、東京生まれ。2010年からコンビニアイス評論家として活動を開始。2014年「日本アイスマニア協会」を設立。アイスクリーム万博「あいぱく」を主宰。年間1000種類以上のアイスを食す。著書に『日本懐かしアイス大全』(辰巳出版)など。
アイスクリームマニア(HP):https://www.conveniice.com/
YouTube:https://www.youtube.com/user/icemanch315
取材・執筆:寺西ジャジューカ 撮影:栃久保誠 編集:モリヤワオン(ノオト)

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